暖かさを求めておきながら暖かさから逃げるという矛盾。

ざわめき

冬。北海道。寒空の下。コンビニからの帰り道。

自宅まではものの数分で帰れるわけだが、体に冷たく突き刺さる風に心をへし折られないよう、せめてもの「暖かさ」を求めローソン(マチカフェ)にてHOTの『ダブルエスプレッソラテ』を買う。

RPGとかで、

「この先(扉)を進めばボスがいるのだろうな」

と、扉の前でセーブをしている時と似たような緊張感を体全体に走らせながら、ローソンの自動ドアへ歩み寄る。

自動ドアのセンサーは当然のごとく、すぐに開く。空気を読めると言えば読めているが、空気を読めていないと言えば読めていない。

まぁ開いてしまっては仕方がない、行くしかない。

ストーブの暖が効いている部屋へ、最短ルートで、信号待ちが発生しないよう、祈りながら帰ろうではないか。

ダブルエスプレッソラテを両手で抱えながら、重い一歩を踏み出す。

氷点下を大きく下回り地面はツルツルに凍っているが、できる限り早足で自宅へ向かう。

この寒空の下で歩みを止めてしまっては、心が何個あっても足りない。いちいち心を折られていてはキリがない。そのためにダブルエスプレッソラテを買ったのだから。

寒さに必死にもがいていると、そこで俺氏はある矛盾に気付く。

「なぜ ”暖かさ” を求めダブルエスプレッソラテを買ったくせに俺氏は手袋を履かないのだろう……?」

思い返してみれば———いつもそうだ。

俺氏は暖かさを求めHOTドリンクを買った時、いつも手袋を履いていない。

手袋を履いたうえでHOTドリンクを抱え持てば、寒さからは逃れられるのに。少なくとも「手」の寒さからは。

なのにだ。

何故わざわざ手袋を履かずにダブルエスプレッソラテを持っているのだろう。

確かにダブルエスプレッソラテを持っている側は暖かい。しかし触れることができない手の外側に関してはもろに氷点下の餌食になっている。

なのにだ。

なのにだ。

その事実に気付いてからも頑なに手袋を履こうとしない。

それはべつにダブルエスプレッソラテを管理しながら手袋を履くことが面倒だからという理由ではない。

明らかに俺氏は「好んで」手袋を履いていない。

つまりだ。

理屈的な暖かさよりも、錯覚的な持続性の低い偏りのある暖かさを求めているのかもしれない。

手袋をしたほうが暖かいに決まっているが、手のひらから伝わるダブルエスプレッソラテの暖かさを感じたいだけなのかもしれない。

両手の外側が氷点下の餌食になり痛い。徐々に感覚も失いかけてきた。それでも手袋で暖をとるよりも、ダブルエスプレッソラテの暖をとりたい。

愚かだ。寒いから、寒さから逃れたいから暖をとるという行動をするわけなのに、これでは暖かさから逃げているではないか。

感情的な「あたたかい」を得るために、物理的な「暖かい」を犠牲にしている。

矛盾。

矛盾だ。

手袋を履いたうえでダブルエスプレッソラテで暖をとれ。

手袋を履いたうえでダブルエスプレッソラテで暖をとれよ。

意味が分からない。

手の外側はいい迷惑だ。

そして更に矛盾点に気付いてしまった。

なぜ「暖かさ」を求めているくせにHOTのブラックコーヒーではなくダブルエスプレッソラテを選んでしまったのだろう。

提供場所にもよるが、ブラックコーヒーであれば100度に近い温度(90度くらい?)で抽出していることが多い。

反対にカフェオレやダブルエスプレッソラテなんかは70度くらいの「ぬるめのお湯」で抽出される。

ザックリではあるが、この20度という差はかなり大きい。

70度のコーヒーなんて真冬の北海道にかかればすぐに冷えてしまうだろう。

…………なぜだ。

なぜ「暖かさ」を求めているくせに20度ものハンディキャップを許容してしまったのか。

矛盾。

愚か。

摩訶不思議。

「でもまぁ、これはダブルエスプレッソラテが悪いという事にしておこう」

そんなことを考えていたら、いつの間にか無事にストーブの効いた部屋へ帰ることができていたので、結果的には「錯覚的に」暖をとることに成功していたので良しとする。

———以上。

「暖かさを求めておきながら暖かさから逃げるという矛盾」について、ざわめいてみた。

それでは、しばしの別れ。

マチカフェの『ダブルエスプレッソラテ』。
マチカフェの『ダブルエスプレッソラテ』。

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