祓え! 完璧主義!
MOKUJI.
『良くも悪くも』
完璧主義は、超マメな性格。いっさい手を抜かない。解せないことは徹底的に調べあげる。いっさいの妥協を許さない。自分にも他人にも厳しい。だから「真面目」「キッチリしている」と良い印象があるかもしれない。
だが完璧主義という性格は、そこまで良いものではない。良い面もあるが、残念な面が大きく目立つ。完璧主義というのは金、時間、神経、労力を激しく消費してしまう。それらコストに対してのリターンは意外と少ない。なんでもかんでも完璧にこなしていては命がいくつあっても足りない。
✳︎
『拗らせると厄』
完璧主義というのは、ザックリとアバウトにいえば病気に近いステータスとも言える。もちろん完璧にやらなきゃいけないことは完璧にやるべきだ。けど完璧主義者の多くは完璧にやらなくていいことまで完璧にやってしまう傾向がある。
例えば——部屋の掃除。完璧主義者は、もう既に清潔であるのにも関わらず、「綺麗だけど、なんかちょっと、見た目がなぁ」「新品の時はもっと綺麗だったよなぁ」「ええい、掃除も消毒もワックスもしよう」などと日常の簡単な掃除に対しても完璧を目指してしまったりする。掃除というか、物の時を戻そうと、努力を欠かさない。知識がつけばつくほど、どんどん完璧を求めてしまう。
それが本当にやりたい事ならば問題ない。好きなだけやればいい。自分の趣味ならね。でもそうじゃないなら完璧を求めなくていい。完璧にやらなくていい。健康被害が出ない程度に綺麗になればそれでいい。
掃除を趣味でやってる人は稀。なかなかいない。そりゃ綺麗になるのは気持ち良いが、皆それを趣味だからではなく仕方がなくやっている。完璧主義者はそれを使命として扱っている。使命を果たすために、ゴールの見えない道を、ひたすら進んでゆく。見えたとしても、長い長い道のりに対し膨大なコストを消費しながら遠く遠くにあるゴールを目指す。そんな果てしなき使命を自分に課してしまう。完璧じゃないことが「甘え」「恥ずかしいこと」だと勘違いし、次々と厳しいルールを自分に与えていく。
✳︎
『先送りの原因』
そんな生活を送っていたら、本当にやりたいことができない。やりたいことをやるための時間が失くなってしまう。やりたいことではなく、好きでもない「仕方がなくやらなきゃいけないタスク」に時間を奪われてしまう。切ない歯痒い。われわれは人生を楽しくすごしたい。楽しく暇を潰したいのに。それができないストレスは大きい。ストレスはどんどん溜まってゆく。いつ爆発してもおかしくない。
これって、チャンスを無駄にしている。完璧にこだわるあまり、本当にやらなきゃいけないこと、やりたいことをやる時間が失くなると同時に、人生を好転させるチャンスを逃してしまうことになる。求めているチャンスは自分のタイミングでやってこないのに。その滅多にない機会を逃してしまう——。
毎日、毎週、毎月、必ず発生する「しょうがないタスク」に全力を注いでしまい、金や時間や神経や労力を無駄遣いして消耗しちゃっている。結局ほんとうにやらなきゃいけないことを「時間がないから」とイイワケして先送りにしてしまう。とうぜんチャンスも訪れない。
✳︎
『中途半端=悪 ではない』
数年前まで自分も完璧主義者だった。だから気持ちはよ~~~~くわかる。完璧主義者にとっては「完璧」にすることが人生の幸福度を上げていく行為なのだろうと、そう強く信じ込んでいる。でも、そうじゃない。それは勘違い。愚かな思想。
幸福度を上げるためになんでもかんでも完璧を目指して結局おおきなストレスを背負い、時間や様々なコストを無駄にしてしまっている。本来の完璧にやらなきゃいけないことを完璧にやる余裕がなくなり本末が転倒している。
中途半端でもいいのに。最低限にこなしていたら害はない。人生において困ることは1つもない。だから中途半端でいい。適当でいい。最低限の清潔感、他人を酷く困らす迷惑をかけない程度のモラルを保っていれば良い。勉強に関しても最低限でいい。目的に必要なことだけインプットしておけばいいし必要になったらそのつど調べればいいだけの話だし。
✳︎
『恥ずかしくない。あえてラフ』
正直、傍から見れば完璧主義者の完璧行動は過剰に見える事も多い。「そこまでやんなくていいのに……」みたいな。完璧主義者にとっての完璧をむしろ迷惑に思う人もいるだろう。けっきょくは完璧主義者の自己満行為にすぎない。自己満足的に酔いしれたいだけなのかもしれない。他人からすると「正直お前が頑張ってやってるソレ、全く気にならないんだけど」「ぶっちゃけどうでもいいし誰も見てないよ君のことなんて」みたいなことを心の中でぼんやりと思っているだろう。人間は他人にそれほど興味がない。自分は自分で忙しい。他人のことなんか正直どうだっていい。なのに完璧主義者は自分のことを他人から常に監視されているような感じになり完璧を目指してしまう。つまり完璧主義者は自意識が強いのだと思う。
✳︎
『自意識過剰の錯覚』
「完璧じゃないことが恥ずかしい」なんてのは錯覚。その抱いている恐れは、ただの自意識過剰な感情。誰もなんとも思ってないのに、見てすらいないのに、完璧を求めて様々なコストすなわち命を削ってしまう。その自意識過剰な完璧行動こそがむしろ「恥ずかしい」そうおれは思った。
掃除、身だしなみ、勉強、メールの文章、人付き合い、親子関係、仕事、などなど。もっとラフでいい。もっとふざけていい。怒られたっていい。迷惑も軽く許容できる程度のものならやむを得なくかけてもいい。恐れる必要はない。世界はそんなにも厳しくはない。不器用でゴテゴテでもなんとか上手くまわっている。自分の時間を、自分の人生を無駄にするくらいだったら、完璧主義は卒業したい。なかなか性格は変えられないけど、少しずつ変えていきたい。完璧になる必要があるのかないのかをケースごとに冷静に見極めたい。せっかくの完璧主義は「使うべきところ」で使って良い結果を生み出したい。とにもかくにも、もっと自由にのびのびと生きたいね。