深夜。radiko。オーラルケア。現れる矛盾。

随筆

清潔な彼女は『不潔』が気持ち良い。

 深夜。まぶたが重い。そろそろ脳みそがオーバーヒートし始める頃か。オーバーヒートの初期微動と言うべきか。場合によってはIQが2になることもあるだろう。朝から活動している私にとって、そろそろ活動限界な時間帯に突入したようです。そんな状態では仕事も読書も捗らない。徹夜なんかはせず、さっさと眠ろう。

 それでは、最後のタスクを片付けましょうか。
 わかりました、オーラルケアを行いましょうか。
 オーラルケアすなわち歯磨きタイム。

 歯磨きという作業に対して「めんどくさい」というイメージを持っている人は意外と多いみたい。
 だけども私にとって、その時間、口内を清める時間は、リラックスできる時間の一部。

 めんどくさくない。とても落ち着く。1日のゴールのような。ラスボスというか。なんというか。うーん。べつに敵対心はない。でも達成感がある。楽しいんです。
「はーみがけばもうねれるー」
 と、達成感に浸ったり、ゴールが目前にあるという安心感に浸りながら、オーラルケアを行なうのです。

「はやくねてー。だりー。めんどくせー」と雑に急いでやったりはしない。私はその時間を、その作業を、楽しむ事にしている。じゃなきゃ、たとえ杜撰にやって早くオーラルケアが終わったとしても、毎日のその時間がストレスになってしまうし、罪悪感も残る。あとは単純に虫歯や口臭や歯周病のリスクも上がってしまう。
 だからこそ、楽しむ。ゆっくり、落ち着いて、口の中を掃除する。
 だからこそ、radiko。聴きながら、リラックスした状態で、楽しみながら向き合う。

 ラジオの内容が気になり、ちょいちょい手が止まることもある。
 そんなとき、神経質かつ完璧主義な自分が「こらっ、さぼるんでない」といじわるに指摘してくる事がたまにある。
 でも大丈夫。そんなのは無視してしまえ。だってあとはもう眠るだけ。今日はもう頑張ったじゃん。最後のタスクは落ち着いて〜ゆっくり自由にやればいいのさ〜。

 その時間、そのルーティンを「毎日の楽しみ」とすることで、毎日その時間は幸せになるんです。
 それに落ち着きながらオーラルケアを行なうことが出来るため、清潔。口の中はとても清潔です。
 だから私は、この時間が好き。歯磨きも、歯間のゴミ取りも、舌の苔落としも、仕上げのマウスウォッシュも。そしてradikoも。それらは深夜のリラックスタイムなんです。

 ところで——

 そんな綺麗好きな私ではありますが、じつは、『不潔』が好きなんです。
 不潔がね、嬉しいんですよ。
 なんだか矛盾しているでしょ? そう、矛盾しているんですよ。清潔が好きなのにね、なんか不潔が好きなんです。

 ということで——

 ここからはフロス(糸ようじ)の使用時に起こる感情の矛盾について話してみましょう。

 私は毎日、朝晩で2回、フロスをしている。
 フロスを使って歯と歯の間のゴミを取り除いている。
 朝ごはんを食べた後に1回。眠る前に1回。
 つまり、朝フロスをしてから眠る前まで、歯間にゴミが、たまりにたまる。
 もちろんその間、食後はしっかり「ぐちゅぐちゅぺー」をして汚れを洗い流しているし、できるときは歯ブラシで清掃もしている。
 でもそれでも、夜寝る前にフロスをすると、かなり大きなゴミが≪ぽろッ≫と取れることがある。
 その時——私は嬉しい。
 すごく、とても嬉しい。
「嬉しい」という感情が大きく芽生える。
「大きなゴミがとれた」という事実に対し、とても嬉しい気持ちになるのです。

 しかし——その「嬉しい」という感情には、明らかな矛盾が生じている。
 汚れがとれるとそりゃ嬉しい。汚れがとれるんだから嬉しいに決まっている。でもその嬉しいという感情は本質的に間違っている。
 だって本来は「ゴミがなくて嬉しい」と思わなければならない。……そうでしょ。
 なぜなら私は清潔感を保つためにフロスをする。清潔なのが好きだからフロスをするの。
 つまりゴミは《《無いほうが》》いいに決まっている。
 ゴミがとれるということは、その間ずっと『不潔』だったってことだから。
 口の中に大きなゴミを飾っているのといっしょ。そういうことでしょ。
 それは口内環境的によくない事実。明らかに不潔なんだなー。

 でも——何故なのか、ゴミがとれないと、悲しい。自分の中に「不 完 全 燃 焼 感」がうまれてしまう。
 ゴミがとれないということは、清潔だということ。でも、その『清潔』という事実に、なぜか私は不服を感じてしまう。
「今の今まで清潔でした」という事実よりも、「大きなゴミを溜め込み不潔でした」の事実のほうに私は嬉しさを感じてしまう。
 矛盾……。この矛盾……。この矛盾はなに……。

 よくわからない。よくわからないが、きっとこれにも「達成感的なもの」が絡んでいるのかもしれない。
「何もない」が退屈なのかもしれない。
 被害のない事件(刺激)みたいなものを求めているのかもしれない。
 誰がどう言おうが「不潔」な状態よりは「清潔」な状態のほうが絶対に絶対に良い。
 でも「不潔だった」という結果に対し気持ち良さを感じているということは、そういうことなのだろう。ね。
 だからこれからも私は、深夜にradikoを聴きながら、歯間に詰まっているであろう大きなゴミを求め、不潔という事実からくる達成感を味わいながら、鏡にマヌケな顔をうつしこみ、がむしゃらに、楽しそうにフロスをするのだろう——。