暖かい矛盾。

随筆

 冬。札幌。深夜。氷点下。寒空の下。帰り道。
 自宅まではあと6分ほどで帰れるわけだが、その6分が、いまは重い。とてもしんどい。
 体に冷たく突き刺さる風に、心をへし折られないよう、せめてもの暖かさを求め、LAWSONのマチカフェで『ダブルエスプレッソラテ』を買った。もちろんホットに決まっている。
 そしてLAWSONの自動ドアへと歩み寄る。
 RPGとかで、
「このさきに、ボスがいるのか……」
「扉を開ける前にセーブをしておこう」
「念のためもう1回しておこう」
 の時と似たような緊張感が体全体に走っているのを認識する。
 自動ドアのセンサーは当然のごとく反応し、すぐにドアを開けてくれる。空気を読めていると言えば読めているが、空気を読めていないと言えば読めていない。
 まぁ開いてしまっては仕方がない、行くしかない、行くぞ。
 ストーブが効いている暖かい部屋へ、最短ルートを通り、信号待ちが発生しないよう祈りながら帰ろうではないか。
 ダブルエスプレッソラテを両手のひらで大事そうに抱えながら、まるで20キロのダンベルを足に巻きつけた時のようなそんな重い一歩目を踏み込む。
 気温は0℃を大きく下回り、地面はツルツルに凍っているが、できる限り早足で自宅へ向かった。この寒空の下で歩みを止めてしまっては、心が何個あっても足りないだろう。
 いちいち心を折られていてはキリがない。
 ダブルエスプレッソラテを買った意味がない。
 寒さに必死にもがき歩いていると、そこで俺は、ある【矛盾】に気付く。
「なぜ俺は手袋を履かないのだろう……? 暖かさを求めダブルエスプレッソラテを買っておきながら」
 手袋はアウターのポケットに入っている。のに手袋を履いてない自分がいる。
 思い返してみれば——いつもそうだ。
 暖かさを求めホットドリンクを買った時、いつも俺は手袋を履いていない。
 ホットドリンクを素手に持つよりも、手袋を履いたほうが、手に襲いかかる寒さからは逃れられるのに。
 だから手袋のうえからホットドリンクを持てばいいのに。
 なのにだ。
 なぜ手袋を履かずにダブルエスプレッソラテを持っているのだろう。
 たしかに素手持ちでも、ダブルエスプレッソラテを持っている側、内側、手のひらだけは暖かい。
 しかしダブルエスプレッソラテを触れることができない手の外側に関しては、もろに氷点下の餌食になっている。
 なのに。なのにだ。
 その事実に気付いているのに。その事実に気付いていながらも、なぜ頑なに手袋を履こうとしない。
 それはべつにダブルエスプレッソラテを手や口を用いて管理しながら手袋を履くことが面倒だからという理由ではない。どこかに置く事だって可能だ。
 明らかに俺は《《好んで》》手袋を履いていない。
 つまりだ。それは、こういうことだろう。
 効率を重視した理屈的で合理的な暖かさよりも、効率が低く明らかに偏りのある錯覚的で感情的で自己満足的な『あたたかさ』を求めているのかもしれない。
 手袋を履いたほうが暖かいに決まっているが、俺は手のひらから伝わるダブルエスプレッソラテの暖かさからくる『あたたかさ』を感じたいだけなのかもしれない。
 両手の外側が氷点下の餌食になり痛い。徐々に感覚も失いかけ始めている。かじかんだ手の外側をデコピンされただけでダブルエスプレッソラテを落としてしまいそうだ。
 それでも手袋で暖をとるよりも、ダブルエスプレッソラテの『あたたかさ』で暖をとりたい。感情的に、あたたかさに騙されたい。そう思っている自分がいる。
 しかし愚かだ。愚かだなぁ。寒さを紛らわすために暖をとろうというのに。これでは暖から逃げているではないか。
 感情的な「あたたかい」を得るために、合理的な「暖かい」を犠牲にしている。
 矛盾。完全に矛盾している。
 手袋を履いたうえでダブルエスプレッソラテで暖をとれ。
 手袋を履いたうえでダブルエスプレッソラテで暖をとれよ。
 意味が分からない。手の外側もいい迷惑だ。
 そして更に矛盾点に気付いてしまった。
 暖をとりたいくせに、なぜホットのブラックコーヒーではなく、ダブルエスプレッソラテを選んでしまったのだろう。
 ブラックコーヒーであれば90度くらいのお湯で抽出していることが多い。
 反対にカフェオレやダブルエスプレッソラテなんかは70度くらいの「ぬるめのお湯」で抽出される。
 場所にもよるし、ザックリではあるが、この20度という差はかなり大きい。
 70度のコーヒーなんて真冬の北海道にかかればすぐに冷えてしまうだろう。
 …………なぜだ。
 なぜ暖かさを求めているくせに20度ものハンディキャップを許容してしまったのか。
 矛盾。愚か。摩訶不思議。
 これはなんだ、これに関しては「感情的なあたたかさが欲しいから」は理由にならないぞ。ただ単に「味わい」に目を奪われたのだろう。味わいの代償に暖を犠牲にしたのだろう。暖をとるために買ったのに、暖を犠牲にするなんて本当に馬鹿だなお前は。
「……あっ」
 そんなことをネチネチと真剣に考えながら歩いていたら、いつの間にか自宅マンションの前に着いていた。
 そして、ストーブの効いた暖かい部屋へ帰ってくることができた——。
 真冬の深夜の寒空の下、この条件であれば6分という短い時間であっても人の心を折るのには十分な時間だ。つまりは6分という帰り道は長いわけだ。だけどもいつのまにか帰ることができていたので、これは結果的には錯覚的に暖をとることに成功したということか。
 だって、いつのまにか帰れたということは、寒い時間が縮んだのと一緒だからね。
 さて、もうそんなことは、どうでもいい。暖かいストーブの前に座って、冷めたダブルエスプレッソラテでも飲もうかね。