失敗は美味しい。
『失敗』があまり恐怖では無くなった。
以前まで、失敗は怖いものだと思っていたし、恥ずかしいものだと思っていた。
でも今は、それほど怖くはない。まあでも、ちょっとは怖いし、実際に失敗したら悲しいしムカつくけれど、そういうマイナス感情は最小限で済むようになった。すぐに開き直れる。立ち直れる。
失敗は成功の素と言うことで。「これで成功に近づいたな」と思えるようになったし、むしろ「これネタになるぞ」「小説に書けるぞ」と前向きに思えるようになってきた。
理想論でいえば、もちろん失敗は無いほうがいいけども、失敗せずに成功できるなんて、そんなラッキーな事なかなかないよね。考えが甘いよね。図に乗るなって話だよね。なのに失敗を恐れるなんて馬鹿馬鹿しいと思った。失敗して当たり前なのに、その当たり前に恐れるなんて感情の無駄遣いだなあ、と。
失敗は成功への道標をハッキリとしてくれる。その失敗は許容範囲というか想定内。だから実は失敗は失敗ですらないんだよね。あくまでも必要なタスクを進めたってかんじ。そう捉えていいと思っている。
そりゃいきなり「失敗は怖くない」「恐れるな大丈夫だ」と言われても、冷静に理解して対処するなんて難しい。バンジージャンプだって飛び込むのには勇気がいる。でも普段からなるべく、なるべく前向きになろうと、冷静に判断や分析をする訓練をしていたら、次第に、ポジティブな気持ちをスムーズに構築できるようになる。自分でも気付かぬうちに、自然と。たぶんこれは筋トレと同じで、じわじわ、じわじわと結果がついてくる。
おかげで行動に対してのフットワークが以前よりも明らかに軽くなった。もともと行動力はあるほうだが、メンタルずたぼろで泥臭くやっていて精神的につらい思いを何度もした。何度も凹んだ。根っこのない状態で、芯のない状態で、ふにゃふにゃと歩いていた感じ。それが今では、しっかりとした軸で気軽に行動を起こす事が出来るようになった。勇気が増した。
けっきょくはプライドが高かったのかもしれない。守らなきゃいけないプライドなんて、最初からほとんどないのにね。親や友人やパートナーや同僚先輩上司に失敗しているという事実を、恥ずかしい姿を見せたくなかったのだろう。自分はちゃんとしたすごい人間なんだぞと見栄を張っていたのだろうね。だから失敗に恐れていたんだと思う。恥をかきそうな事から無意識に逃げていたのだと思う。頼るのは恥ずかしい、弱いところを見せるのは恥ずかしい、そう思っていた。くだらないプライドをもっていた。
プライドなんてどうでもいい。捨てていい。そのプライドのせいで自らの首を絞めるなんて馬鹿げている。本末が転倒している。未だに薄っすらと無意識にプライドが邪魔をする時はある。だがそんな時は、なるべく早く冷静モードを構築したい。そしてプライドなんかすぐにやっつけてしまおうと思う。行動力を上げ、アウトプットをしまくって、自分が欲しい良い結果を出来るだけ早く手に入れたい。