動悸的鼓動

随筆

 自分の鼓動が高鳴りすぎて、イヤホンで聴いている音楽が小さく感じ伝わる時がある。
 これは鼓動というべきか興奮というべきか動悸というべきなのかは不明だが兎にも角にも落ち着かない。そんな状態。

 聴いている音楽がほとんど頭に入って来ない。耳には入っているし脳みそにも到着しているが、処理エラーもしくはセキュリティブロックのせいで上手く音楽(音)を識別(処理)できなくなっている。
 自分がいま聴いている音は音楽なのか、心臓の音なのか、音楽により興奮している自分の音頭(喜びの叫び)なのか、単に精神状態が荒れていて興奮の雄叫びをあげているだけなのか、音楽を聴いた自分が心の中で完コピした「心コピ曲」なのか、これらのどれかには該当する気がするし全て該当する気もするしどれにも該当しない気もするし……。とにかく情報処理が上手くいかない。

 基本的にこのような現象に陥っている時は、動悸的な鼓動がうるさくて我が輩参っているのだが、しかし実際は鼓動の音も心臓の振動さえも聞こえていないしわからない。「ドッ」も聞こえないし「ドンッ」も聞こえないし「ドクンッ」も聞こえない。
 よくわからない。音も動きも感じていない。感じているが感じていない。とにかく心臓も脳みそも興奮していて激しく高鳴っている、という事だけはわかっている。これを我が輩は『動悸的鼓動』とよんでいる。

 動悸的鼓動。それが始まれば、音楽もラジオも焚き火の音も波の音も鳥の声もYouTubeで聴くひろゆきの声も岡田斗司夫の声も全く脳みそに届かない。音だけではなく映像も落ち着いて観れない、見る(目に入れる)ことは可能だがそれでも苦痛。そして映像のない活字の読書も落ち着かない。何をやっても駄目駄目だ。
 けれども、そんな時でも「文章」だけは書けてしまう。それが美しい文章になっているのかはさて置きな話ではあるが、とりあえず適当に文字列を生成して適当に並べてみることくらいはスラスラと出来るのです。だから、こういう時は何か文章を書こうと思っている。
 今がそんな時。動悸的鼓動なう。