不自由なオンラインが最高に楽しかったし興奮したという思い出。そのギャップのせいか、殺伐やマンネリのせいか、昨今のオンラインはつまらない。

随筆

 昔、ガラケー時代のこと。2ちゃんねる以外にもチャットが存在した。
 チャットのサービスは色々とあったみたいだが、俺氏が愛用していたサービスは『00HPメイカー』というもの。
 俺氏と同世代の人間なら共感できるかもしれないが、この『00HPメイカー』は、かなり流行った。
 『00HPメイカー』というのは、ホームページを超簡単につくれるサービスで、当時中学1年生でwebサイト制作の知識が全くなかった俺氏でも超簡単にホームページをつくることができた。
 その中の一機能として、「チャット」があった。
 しかしこのチャット機能、リアルタイムで更新されない……(笑)。
 携帯(ガラケー)の更新ボタン、PCならキーボードの[f5]を押さないと反映されない。
 そう、会話中なんども更新ボタンを押さなければ会話ができないという仕様。今となっては不便すぎるし誰も使わないだろう。
 でも、その不便さの中に俺氏やその友人たちは楽しみ(中毒性)を抱いていた。それがとても刺激的な娯楽で、新鮮な日々を送らせてくれた。

 チャットで会話が盛り上がっている時、何度も何度も更新ボタンを押した。まだ相手が話している途中かもしれないし、自分と相手の発言がすれ違わないよう、頻繁に確認をした。
 チャットの投下タイミング。それは醍醐味のひとつでもあった。
 タイミングが悪いとちょっとしらける時があるし、偶然いいかんじのタイミングに発言が重なると面白くなったりする。盛り上がり(盛り下がり)を考えると投下タイミングは無視できない重要なマナーだった。

 インターネット、というよりpcや携帯、携帯を持っていてもブラウザを使う人間はそれほどいなかった時代。普段オフライン(現実世界)では関わらない人とでもオンラインでは密に関われた。
 同じ学校の人であっても、オンラインじゃないとなかなか話せない人もいた。関係性、グループ、思春期ならとくにね。まぁ大したことない理由ではあるかもしれないが、オンラインではそこを上手く繋げてくれる。だからこそ当時はそれがとても新鮮で刺激的で面白かった。
 だからみんなチャットの投下(返答)を今か今かと待ち望み興奮ぎみに更新ボタンを連打していた。
 そうだな、例えばガラケーで、好きな人からのeメールがサーバー上に留まってないか更新ボタンを何度も押して確認する、あの感じと近い。

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 今となってはスカイプやLINEなど、リアルタイムでチャットができるサービスは当たり前のように普及している。
 チャット以外にも、SNSが良い意味でも悪い意味でも大盛り上がりだ。その気になれば簡単に知人以外と繋がれるしオフラインで会うことだってできる。日本人どころか、外人ともね。
 当時では考えられない距離(温度感)で人々の日常にソレは溶け込んでいる。いつしかソレは、常識、当たり前、文化となった。

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 だからなのか———昨今、オンラインがつまらない。
 インターネット上で会話をしていても、正直、なんにも面白くない。
 昔、ガラケー時代、不自由な時代、興奮気味に釘づけになった「あのチャット」に、まったくもって興味がなくなったし面白みを感じなくなった。
 自分が知らない人間と繋がれることに喜びを感じなくなってしまった。
 なぜだろう——昔はあんなに新鮮でドキドキしていたのに。
 これは単純に飽きたのか。
 それとも「いざとなったら、いつでも繋がれる」そんな現状(思い)だからなのか。
 それともインターネットを使うハードルが下りに下がり使う人間が大量に増えたことで全体的に民度やリテラシーが下がったからなのか。
 当時中学1年生の自分が利口だとは思わないしリテラシーがそれほど高いわけでもないが、そういうことではない。
 冗談が冗談と通じない、まじめな議論をまじめに議論できない、読むべき空気を読めない、魔女狩りの風潮ができあがった、空気が殺伐としているのが当たり前になった。これが昨今のオンラインをつまらなくしている原因かもしれない。
 厳密な原因は解らない。よくわからないが、とにかくつまらない。作業感、マンネリ、殺伐、それらにウンザリしているのだろう。
 昨今のオンラインは色んな意味で盛り上がりを見せているが、正直鼻で笑いながら傍観している。否定するわけではない。ただ、自分は楽しめないでいる。せいぜい猫やカワウソやちいかわを見ている時だけが癒される。楽しんでいる。
 エンタメの普及により『Kindle』や『Netflix』などには大変感謝しているし大変楽しませてもらっている。ネットショッピングも簡単になり、とても便利だ。だからオンライン、インターネットの進化を全否定しているわけではない。
 ただ——webを開く前のドキドキを、我々は忘れている。
 デバイスを開き、オフラインの自分からオンラインの自分に変わるあの瞬間の興奮は、しばらく味わっていないはずだ。

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 これから先の未来では——携帯電話の赤外線通信で連絡先を交換するというデジタルだけどアナロギーなめんどくささ(特別な事をしている感)を味わうことはないだろうし、携帯電話のバッテリーが格納されている蓋裏に隠すようにプリクラを貼る事はないだろうし、年末の格闘技を見ながら不器用なチャットで不器用に大盛り上がりをしたり、年越しの0時間際にインターネットが不安定になってチャットやメールがまともに使えなくなったり、時期とか関係なく2時間くらい前に投下したはずのチャット(文章)がタイムラグかなにかで何故か未来に反映されるという、そういう不自由さやハプニングとかを楽しむことはないんだろなぁとは思う。
 まぁ、そういう不自由さ(めんどくささ)は、ないほうがいいのだが。だから不自由を肯定するわけではない。それがストレスであったのもたしかだし。
 これは単なる時代や思い出とのギャップ。
 それを上手く埋めれてない自分に原因があるのだろうね。

 思う。これから我々はオンラインに何を求めてゆくのだろう。これからインターネットはどう進化を遂げてゆくのだろう。
 様々なところで進化が必要なのはよおく理解できるし賛成もしている。しかし一部においては意図的に退化を目指す傾向もある気がする。退化することでコミュニティが出来上がるのかなぁと。
 今回チャットを題材にしたわけだが、べつにチャットはチャットで進化をするべきだと思っているし、退化なんて真っ平ごめんです。
 進化の否定はしていないし退化を望んでいるわけではないが、自分が本当に楽しいと思っていたオンラインは、かくじつに「進化する前のオンライン」だってこと。
 自分はいま30歳なので、20年くらい前のオンラインだってことです。
 そこに矛盾は感じている。その矛盾が気持ち悪い。何がどうなるというわけでもないが、とりあえず言語化してみよう。
 そう野澤は思いました。