一眠り、三万円です。

小説

 ——いまから10年前。当時20歳の彼(おれ)の話です。——

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 季節は秋。11月。西東京の田無市にて。
 北海道の札幌市へ行こうと飛行機のチケットをwebでとった。
 早朝6時くらいの便。その日いっぱつ目のやつ。札幌についてからドタバタしないよう余裕をもって早く着きたいから朝一に設定した。
 観光とかではない。札幌に分布している中学時代の同級生と飲んだり遊んだりするためだけにわざわざチケットをとった。
 ちょうどブラック企業を辞めたばかりで、心身ともに疲弊してたという事もあり、リフレッシュをしたいと、まぁ「ノリで」会いに行くことになった。

 起きるのは苦手。寝坊したくない。おれは、わりと不安症だ。
 だから深夜のうちに羽田空港へ行き、羽田空港のターミナルにある暖かいラウンジ的なところで、仮眠をとりながらフライトまで待機していよう。そういうプランでいた。
 ということで——明日のフライトに備え、22時ごろ、電車にのって羽田空港へ向かうことにした。

 田無駅にて、西武新宿線で高田馬場駅へ。
 乗り換え。山手線で品川駅へ。
 乗り換え。京急線に乗り、いよいよ羽田空港へ向かう。
 その——電車内。
 「羽田まで20分以上かかるのかぁ」
 今おれは、かなり眠い。それと、たぶん発熱がある。ちょいだる。測ってはいないが、37度はある気がする。
 まぁまぁな長旅だ。そうだな、15分くらいなら寝てもいいだろう。電車の中だ、深い眠りにつくことはない。それに羽田が終点だし、万が一で爆睡しちゃっても、きっと誰かが起こしてくれるだろう、車掌とかが。
 希望的観測ではあるが、うとうと眠ることにした。

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 起きた。というか起こされた。案の定だ。
 肩を叩かれ、なにか声をかけられた。なんて言ったかはわからない。
 ……車掌? ……車掌だ。すぐ目のまえには車掌がいる。案の定だ。
 どうやら電車は止まっているな。乗客はもう誰もいない。おれ以外。
 静寂。まぁまぁな静寂。遠くから足音とキャリーケースを引く音が聞こえてくる。着いたか。羽田空港に。着いたな。
 ふぅ。よかった。万が一とか言って普通に爆睡してしまった。車掌が起こしてくれた。助かった。案の定だ。
 爆睡していたので結構な時間が経った気がするが、これは発熱のせいだろう、気のせいだ。20分だ。20分ちょいだ。
 おれが起きた姿、様子を確認できた車掌は隣の車両へ去ってゆく。

 電車を降りたおれは霞んだ目を頑張って晴らしながら辺りを見渡す。
 「えーと…………えーとぉ?」
 目に飛び込んできた看板というか掲示板の文字列。
 それは、「羽田空港」。
 ではなく…………「成田空港」。


 なんと、羽田に着いたと思いきや、成田に着いてしまったではないか。
 「うーん……」
 わからない。おかしいな。
 東京歴3ヶ月ほど。上京する前までは、電車や地下鉄の走らない田舎に長年(20年くらい)住んでいた。
 だから東京や電車に全く詳しくない田舎者のおれは何が起こったのかさっぱりわからない。ここが羽田空港じゃないということだけは、なんとなくわかっている。
 とりあえず駅員に話しかけてみよう。
 改札の方へ行く。
 「すいません、羽田行きの電車に乗ったんですけど……えーと……ここは羽田の近くですか?」
 駅員は不思議そうな顔をしている。
 自分でも自分の言ってることがおかしいということは薄々感じてる。「成田空港」と書いていたからね。でも成田空港が地理的にどこに存在するかは把握してないし、今は寝起きだし発熱があるし混乱しているからこのような質問をしてしまった。
 駅員は何言ってんだこいつみたいな顔をしながらも、おれが田舎者だということを察したのか、作業的に面倒くさそうに教えてくれた。
 「——まぁたぶん逆の乗りましたね」
 ……逆に乗った記憶はない。成田空港行きに乗った記憶はない。たしかに「羽田空港行き」に乗った。
 でも……理解した。その後の駅員の説明で。
 要するに、おれが乗った電車は、羽田空港と成田空港を「往復する電車」らしい。
 つまり……たしかに羽田空港には行った。おれは眠っていたので記憶にないが、おれの肉体はたしかに羽田空港に辿り着いていた。でも、降りなかった。意識が飛んでいたからね。終点ではあるが、終電ではないからか、誰も起こしてはくれなかった。そして、その電車は、そのまま、「成田空港方面」へと切り替わった。眠ったおれを乗せながら、成田空港へと向かったんだ——。

 面倒くさい事をしてしまった。なんて無駄な事をしてしまったんだ。
 まぁだけど後悔していても仕方がない。切符代はもったいないが、戻ればいい話。面倒くさいが寝た自分が悪い。とにかく、とにかく戻ろう。
 そう思いながら、駅員に軽く礼を言い、また電車のほうへ歩き出した。
 すると——駅員が駆け足で追いかけてきた。
 「いやだめだめだめ! 終電だから!」
 「えっ」
 終電……? そうなの? そうなのか? そうか。どうやら今のが終電だったらしい。
 「……あの、羽田いきたいんですけど、どうしたらいいですか?」
 駅員は慣れたかんじで面倒くさそうに早口で答える。
 「あしたまで無いっすねぇ」
 「えっ」
 今日はもう乗れない? 今日は羽田に行けない? なんだと……。ということは、朝までこのあたりで時間をつぶさなきゃいけないってことか。
 でも、フライトは早朝だ。朝一の便だ。
 そのことを駅員に伝えると、駅員は苦笑いをしながら「間に合わないと思います……」と気まずそうに言った。
 「思います」とは言っていたが、100%物理的に間に合わないらしい。
 「そうですか……」
 駅員に軽く礼を言い、改札の方へ。
 慎重に不器用に、改札機へ切符を入れる。とりあえず駅の外へ出てみた。
 寒い。いくら東京とはいえ11月の深夜は寒い。まぁ成田は千葉県だが。
 「…………しゃーない、歩いていくかっ」

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 ——東京も千葉も関東も世間も何もしらない情弱で田舎者の彼は、とても馬鹿なことを言っていますが、成田空港と羽田空港の距離が約84kmあることを本当にわかっていません。
 当時は『Googleマップ』を使えるデバイスを所持していませんでした。携帯電話は持たず、ウィルコム(PHS)を持っていました。
 自宅では有線インターネットでパソコンを、外では携帯電話のwebを使いません。使わなくても、それほど困る時代ではありませんでした。
 スマホを持ってる人なんてほとんど存在しません。だから、どれだけ通話しても3,000円くらいのウィルコムを節約として持っていました。それで十分だと思っていました。
 一応、唯一のハイテク機『iPod touch』を持っていましたが、馬鹿だったので、ポケットWi-Fiの充電を切らしていました。Wi-Fiスポットなんてのは昨今(2021年)のようにたくさんあるわけではありません。存在すら危ういかんじでした。例えるならば、そうですね……『ポケットモンスター 金銀版』でスイクンを探すくらい大変なことでした。
 近くにネカフェがある可能性はありましたが、ネカフェにすら行った経験があまりない彼です。地元は田舎なのでネカフェも市に1つしかありませんでしたし。そして当時の彼は、そこまで頭がまわっていませんでした。
 とにかく、『Googleマップ』を使うことも、『ググる』ことも出来ませんでした。——

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 近くにタクシーがいる。とりあえずタクシーの運転手に尋ねてみることにした。
 「すいません、こっから羽田空港まで歩いたら何分くらいですか?」
 驚かれた。
 タクシーの運転手は、
 「えほんとに言ってる?ww」
 みたいな顔をしていた。
 だからおれは、
 「えほんとに言ってる」
 みたいな顔を返した。
 で、事情を話した。
 そしたらタクシーの運転手は、
 「さすがに飛行機には間に合わないよ……」
 と言った。
 ということで——崖っぷちに立たされたおれは、やむを得なくタクシーで羽田空港へ行くことにした。
 「あぁ……じゃあ、お願いします……」
 驚かれた。

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 「いったい、いくらかかるんだろう……」
 料金メーターの数値が上がるたびに怯えた。震える。ここ数年、『西野カナ』が震えることで大流行している。そんな西野カナよりも多分おれは震えている。料金メーターが上がる恐怖もそうだが発熱のせいもあるだろう。明らかに熱が上がってきた感じがするし。震える。
 道中——現金が余裕で足りないことにきづいて、コンビニへ寄ってもらいATMで金をおろした。あとついでに、『じゃがりこ(サラダ味)』も買った。1本だけ運転手にあげた。
 驚かれた。運転手は迷惑そうな顔をしている。いや、もしくはただ単にビックリしているだけかもしれないが。でも2本目をいるか聞いたときには断っていた。

 タクシーの中は暖かかったと思うが、おれの心はそれほど暖かくはなかった。
 おれは、じゃがりこを食いながら、いろいろなことを考えていた。 
 たった20分ちょい、なぜ起きていなかったのか。
 東京や電車に詳しく無いのに、なぜ油断してしまったのか。
 このタクシーの運転手は、おれを騙していて、急ぎ足で歩けば飛行機の時間までには間に合ったのではないか。
 なんだか、タクシーの運転手が、むかついてきたな。
 同情して値引きしてくれないかな。
 そんなことを考えていた。
 じゃがりこの味はしなかった。

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 着いた。羽田空港のターミナル? に着いた。薄暗いが……きっと、そうなんだろう。
 で……結局、3万円くらいかかってしまった……。
 「割り増し分、サービスしときましたから」
 深夜料金ではなく通常料金にしてくれたらしい。
 ちっ。それでも3万円かかるのか。
 そして、タクシーの運転手は、
 「こんなこと滅多にないから、記念に(笑)」
 と、丁寧に領収書を渡してきた。

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 すぐ捨てた。この領収書を見るたびに嫌な気持ちになってしまうだろう。こんなものは捨ててしまえ。薄暗く狭い小さなターミナルの中に入り、缶や瓶やペットボトルのゴミ箱を見つけ、3万円の領収書をすぐ捨てた。
 じゃあ貰わなければよかっただろという話ではあるのだが、なんだか嬉しそうに渡してきたから断れなかった。

 熱を測ってないから何度かはわからないが、確実に熱は上がっているだろう。数時間前までは、どちらかというとポカポカと頭が熱い感じだったが今はとにかく寒気がする。
 とにかく横になり休みたい。
 タクシーの中で寝ればよかったのだが、着くまではなんだか不安でね、寝ることはできなかった。
 「ようやく仮眠がとれる」
 ようし——暖房がきいていてソファがたくさんある、広く暖かく癒される『ラウンジ』とやらに行こう。
 ——そう思ってあたりを探していたが、それっぽい建物が見当たらない。
 一応ここもターミナルっぽいが、かなり狭いし暗いし寒いし誰もいない。明らかにラウンジとやらはない。本当にここはターミナルなのか? なんか違う気がする。
 深夜2時過ぎではあるが、緊急事態ということで、東京在住で飛行機の経験が多くある友人にウィルコムで電話をしてみた。

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 電話を終えた。
 いろいろと聞いた情報をまとめると、ターミナルは何個かある。で、おれがタクシーで降りた場所は「休めるところがないターミナル』。で、休めるターミナルへ行くにはたぶん車で数十分はかかる。ターミナル間で走ってるバスがあるらしいが朝までは動かないとのこと。
 またタクシーで行こうかとよぎったが、不運なことにウィルコムの電池があとわずか。札幌の友人に連絡をとれないと大変だ。モバイルバッテリーなんて持ってない。だめだ。タクシーは呼べない。タクシーを呼ぶのに充電を使ってしまうし、いま手持ちの金がそんなにない。ATMがあるかどうかもわからない。
 ということで、黙ってこの12畳くらい? の狭く薄暗く暖房の効いていない寒いターミナルで朝まで過ごすことにした。
 命綱はとっておこうと、ウィルコムの電源をきっておいた。
 さいわい、ベンチがあった。かたく冷たいベンチが。
 あと自販機もある。自販機の光だけが唯一のまともな光。
 しかし11月だというのに、なぜ暖房がついていない。きっとこのターミナルは日中以外、というか営業時間以外は誰も来ないのだろう。
 熱が上がっているせいか、寒気がヤバイ。
 11月だが、もともと薄着なおれは、あたたかい格好をしていない。
 ベンチの上で横になっているが寒くてダメだ。
 しょうがないから自販機でぬるいお茶を3本買ってカイロとして使った。お腹と太ももと首元においた。着ていたジャケットを脱いで、かけ布団にした。
 両手、両腕で自分を抱きしめた。ブルブル震える。西野カナ。おれは、とても惨めだ。
 ていうか、寝たら絶対に起きれない。起きるのは苦手だ。おれは、わりと不安症だ。寝過ごしてしまっては、これまでの努力が全て無駄になる。3万円も払ったんだぞ!
 悪寒に苦しみながら、眠気をこらえながら、発熱から来る節々の痛みと闘いながら…………ターミナル間を移動するバスの時間(5時半くらいが始発?)を待つことにした。
 本当に地獄の時間だった。

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 なんとか地獄を越えた。始発のバスが来た。いざ、羽田空港へ——。
 フラフラになりながらも無事に搭乗手続きを済ます。
 フライト中はCAにバファリンを貰い、ブランケットを借りた。
 さすがに眠った。
 たくさん寝汗をかいた。
 でも安心した。
 だいぶよくなった。
 そして、ようやく新千歳空港(札幌の近く)へ到着した。
 新千歳空港からJRに乗り、無事に札幌駅へ辿り着いた。
 札幌駅に着いたおれは、充電が残りわずかのウィルコムで友人に連絡をした——。

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 ——本当に馬鹿だったなと思う。というのも、羽田空港から新千歳空港までのフライトは、たしか1万円くらいでした。で、べつに急いで札幌に行かなきゃならない理由は1つもなかったのです。
 彼は仕事を退職したばかりで無職だったし友人は大学生でした。日程調整はいくらでもできました。
 なので、キャンセルして別の便のチケットを買えば、あんなにも辛い地獄の体験をしなくて済んだのです。痛い出費も大きく抑えることができましたね。
 とても馬鹿でした。典型的な情弱っぷり。典型的な田舎者です。——

 あの日——成田空港から羽田空港へと向かうタクシーの道中。
 『ディズニーランド』のすぐ近くを通りました。
 時期的に、ものすごい大きなイルミネーションがありましたね。
 ディズニーランドのイルミネーション、ものすごおく綺麗だったと思います。
 しかしその時の彼は、ぜんぜん綺麗には見えていませんでした。色々とあったからです。
 それがあってか——今でもディズニーランドの広告や映像をみると、微妙にザワザワします。