クチイジリ

随筆

 クチイジリ。おれはそれをこう定義する。
 例えば、口の中の粘膜(頬の内側)を噛んだり。前歯で舌を掻いたり。歯のギザギザやザラザラを舌で触ったり。親知らずを舌でほじくるように触ったり。折り曲げるように舌に舌を合わせて薄らとついている苔を摩擦したり。とにかく口内のいたるところを舌で触ったり歯で噛んだりしてしまうこと。これらの通称を『クチイジリ』としている。

 クチイジリの原因は。おそらく。ストレス、焦り、不安、怒り、尿意、空腹、炎症、アレルギー、現実逃避、暇潰し等から起こるもの。
 無意識でやってしまうこともあるし、有意識でやってしまうこともあるし。
 これが始まると仕事や読書や映画や会話やゲーム等に集中できない。口内だけではなく顎も痛痒くなってしまい落ち着かない。まぁ落ち着かない。でも。でもやってしまう。嫌だ。嫌なのにやってしまう。

 舌でどこかに触れる程度ならまだいいが、粘膜を噛むのは本当にやめてほしい。噛んでしまっては口の中に傷ができ、炎症が起きてしまう。傷口が痛いし痒い。血も出る。美味しくない。口臭の原因にも。何かしらの感染経路にもなり得る。
 たとえそれが軽度な炎症で済んだとしても、この癖、クチイジリが治らない限りは一生涯、口内が荒れた状態になってしまう。「荒れ」がデフォルトになってしまう。

 これまで何度もクチイジリを治そうとしたが、ついついやっている。ふとした時に。やるつもりがなくても。いつのまにかやっている。やってしまう。
 だから「クチイジリの対象を変えてみよう」と何かを食べれる時は何かを食べて誤魔化す作戦を試みた。飴とかガムとか。しかし失敗。話にならない結果に。こんなものは一時的なものであり何の解決にもならない。アメ、ガム、ダメ。

 飴やガムなどを常時、口内で動かし続ければクチイジリが直ると思ったが、飴やガムを動かすという行為そのものがまたクチイジリだ。
 飴やガムが癖になってしまっては、飴やガムが無い時に、飴やガムを求めて、飴やガムの代替え品として口内の粘膜を噛んでしまっては困る。飴やガムに依存しちゃうのも困る。
 クチイジリを直すための作戦によりクチイジリを活発化させてしまうなんて本末が倒れているではないか。
 それに太るし、コストがかかるし、虫歯のリスクも上がるし。

 そして結局、ガムとかを口内で動かしていようが、そのガムを口内の隅っこへと追いやってまで、またクチイジリを始めてしまう時がある。本当に意味がない。意味がないぞ。
 ガムから出る汁と砂糖と香料をおかずに粘膜をかじってしまうなんて馬鹿げている。
 だからといってサイズがめちゃ大きい飴や大量のガムで口内の面積をハックしたところで意味がない。結果は同じ。前述のとおり。根本的な解決にはならない。飴やガムで誤魔化す作戦は、誤魔化せなくて終わる。極めて弱い愚かな作戦だ。

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 ある日、ネットサーフィンをしているときのこと。
「漫画を描く時はマウスピースをしている」
 という文字列を目にした。漫画家の発言だ。集中できるみたい。≪ビビッ≫と来た。これだ、と。

 わからないが、この漫画家は、たぶん、同様な悩みを背負っているのだと思う。クチイジリ。クチイジリに悩まされている被害者の1人だ。じゃなきゃ、わざわざマウスピースをしないだろう。集中力アップのためにつけているのだから、きっとそういうことなのだろう。
 自分の他にもクチイジリ癖のある人が存在するという事実に、なぜか少しホッとした。そして突如現れたマウスピースという希望の光におれの気持ちはとても昂った。希望的観測、根拠のない確信により光合成しそうになった。

 マウスピースには矯正用、歯ぎしり用、スポーツ用等、色々とあるみたい。
 スポーツ用のほうが、なんとなく付け心地が良さそうな気がするし、見た目がカッコイイと思ったから、スポーツ用のマウスピースを試してみることにした。Amazonでポチッ。

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 マウスピースは全てを解決してくれた。
 マウスピースを口内に装着するだけで、物理的にクチイジリができなくなった。
 単純な話、マウスピースという異物が障害物となり、歯や舌が思うように動かせなくなる。クチイジリが不可能になる。
 とてもあっさり。あっさり解決。手っ取り早い。マウスピース手っ取り早い。なぜもっと早く気づけなかったのか。
 そしてその効果、クチイジリだけではない。
 マウスピースをしているということは、気軽に食べ物や飲み物を口内へ入れることが出来なくなる。そりゃマウスピースをしながら固形物を咀嚼するのが難しいなんてのは当然の話だが。液体すら、喉の奥へ通すという作業に少しコツがいるし難しい。めんどくさい。
 つまりこれにより「暇つぶしの飲食」を阻止することができる。
 集中力が切れてきた時に、暇つぶしで、現実逃避で、なんとなくお茶とかコーヒーとかを飲んだりチョコを食べたりすることが多々ある。でもマウスピースをしていると、それがなくなる。圧倒的に、減る。わざわざマウスピースを外すなんて、めんどくさいからね。
 あぁ素晴らしきマウスピース。クチイジリが直り、集中力が上がり、作業が捗り、ダイエットにもなり、筋トレ中に思い切り食いしばれるからパフォーマンスも上がる。なんて素晴らしいんだマウスピース。

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 あ、でもだからといってマウスピースを半永久的につけるのは面倒くさい。けど問題ない。大丈夫。半永久的につける必要はない。はず。はずだよ。たぶん。だって。マウスピースによって『クチイジリ』をしない期間が長くなるからね。ということは時間とともに癖が直ってゆく。常日頃無意識的にやってしまうクチイジリは、要は生活習慣病みたいなもの。生活からクチイジリを無くしてしまえば、癖なんてのは自然に直ってゆく。もちろん炎症も消え失せる。むしろクチイジリをすることじたい不自然に感じてくるだろう。
 だからマウスピースという障害物をあえて口内に住まわせる。時間での解決を図ってみる。そしてクチイジリとかいう呪縛から解放されたい。