いつもとあまり変わらない。

小説

 ジメジメとした空気の質感に、いよいよ耐え切れなくなった私は、それはそれは不服そうな表情でしょう、コイルマットレスから上半身を遠ざけました。
 電子音に起こされるのも嫌だけど、湿度に起こされるのはもっと嫌だ。なかなかに気持ちが悪い。
 せっかく上半身が起きたんだ。上半身の努力を無駄にはできん。
 起き上がった勢いでよいしょよいしょとベットから降り立つと、そこで「あいつ」が現れます。
「いや上半身を起こすには下半身のちからが必要でしょ。すなわちそれは下半身の努力でしょ」
 あいつはわざわざ、どうでもいいツッコミをいれてきました。
 ちなみにですが「あいつ」というのは、もう1人の私のことです。あいつは私なんです。
 そして私(ほんもの)は、そのどうでもいいツッコミに対し、反論してみせます。
「下半身を動かすには脳からの電気信号が必要なんだよ。つまり結局のところは上半身の努力ってことだから」
 はい。どうでもいいツッコミに、どうでもいい反論です。いつものとおり自己満足的にやりました。でもいいんです。黙っているのは認めたようなもんじゃない。間違い正しがポリシーです。それが私を構成する1つなんです。
 しかし、私は、困っています。あいつは私なのに、なんでいつも攻撃的なことを言ってくるんだろう。そしてなんで私は、私であるあいつにこんなにムカついてしまうんだろう。私は私なのに、私は私が憎いよ……。
 でもさ、しょうがないよね。あいつに言われたまんまでは終われない、だってなんか、ムカつくじゃん。
 突如登場したもう1人の私(あいつ)の戯言を、かぶせるようなカウンター左フックいっぱつで論破した私は、してやったりの表情で窓際へ向かいます。めやにがついているので格好はつかないですが。
 しかしまぁ寝起きだというのに無駄なディベートに巻き込まれたせいで、なんだか喉の渇きが促進されてしまったわ。
 はぁ。まぁ、よいでしょう。私まずは光がほしいです。陽の光を。陽の光をくれないでしょうか。
 私は窓際に垂れ下がる遮光効果のついた厚めの布に手を伸ばします。
 はて。これは寝起きのせいなのか。強い……微妙に強い。微妙に強いんだよ磁力がよぉ。
 慣れているハズなんだけどね。毎日さわっているし。これもきっとあいつのせいだ。あいつのせいで消耗しちゃったに違いない。
 ちょいとムカつきながら、ちょいとモタつきながらですが、なんとかカーテンは元気よくあいてくれました。「待ってましたよ」ってかんじでね。《ピシャッ‼︎》とね。この《ピシャッ‼︎》が今日のはじまりだ。いや、昨日の終わりというべきか。じゃあ、今日のはじまりはどれだろう?
 このくだり、もう何度もやりました。またあいつがやって来る前に、その話の続きは「また明日」ということで。

 とくに意味はないんだけどね、なんとなあくレースカーテンをずらしてみる。できあがった隙間から、なんとなあく窓の向こうを覗いてみる。
 ぜんぶはあけないよ。なんだかちょっと、こわいからね。
 どきどき、わくわく、どくんどくん。
 希望もあるけど、不安もある。
 いつもとなにも変わらないであろう外の世界が、なんだかちょっと気になっちゃって、なにかにちょっと期待を寄せてみたり———。
 がっかりというか、やっぱりというか。
 もちろんエイリアンがいるわけでもなければ、ミサイルが飛び交っているわけでもない。
 腐らした肉体で摺り歩きながらきゃりーぱみゅぱみゅを踊っているゾンビもいないわけですよ。
 視力が低いのでよくは見えませんが、おそらくアレは人間でしょう。その人間だと思われるアレはみんな窮屈そうに傘をさしながら、せっせと忙しそうに歩いている、それだけでした。そう、それだけでした。

 あたりまえのような風景。
 魔女の宅急便よりも見慣れ見飽きた日常。
 そんな平常な世の中に、当然ながら期待は裏切られてしまうわけだが———
「いや、むしろ期待どおりなのかもしれないよ」
 ……油断も隙も無いね。
 いつのまに、いつからきみは、そこにいた。
 そうです。「あいつ」がまたしゃしゃり出て来ました。
 はぁ。あのさぁ……。
 ため息を吐きながら私はあいつに言いました。
「人の話は最後まで聞いて。コミュニケーションの前提は、まず『聞く』だから!」
 あいつは不思議そうにこっちを見ている。まるで初めて超音波式加湿器から放出されるミストを触った時のような、あっ熱くないんだ、みたいな、そんなかんじの中途半端な不思議顔でこっちを見ている。
「…………まぁ……いいや」
 私は自分が言おうとしたことをあいつに横取りされて複雑な気持ちです。一瞬、ほんのちょっとだけど「おっ、わかってんじゃん」と嬉しくなりました。しかし、同じことを言おうとしていた、その事実をあいつに知らせるのは嫌なんです。
 だって、あいつと意見がかぶった、同調したということは、まるであいつと私が同類みたいじゃないですか。あいつと私が同類だと認めたようなもんじゃないですか。そんなの私はお断り。私はあいつと違って頭が良……えーと……すごっ……じゃなくて………………あいつよりは、すごいひとなんですから。ね。

 でも、私はいま、安心しています。
 見慣れ見飽きた窓の向こう。再放送のように繰り返される世の中。つまらない。つまらないよね。つまらないけど、悪くはない。つまりこれは平和ってやつ? 
 そう、そうなんです。私がわざわざ寝起きに、喉の渇きを潤すことよりも優先的に、磁力に遊ばれつつもレースカーテンの隙間から窓の向こう側を見る、その理由はね、そう、そうなんです。そんな「いつもとあまり変わらない日常」を認識しておきたいからなんです。
 わざわざ認識しておくことで、私は安心していたのかも。あたりまえが「消えてしまうかも」という恐怖に、少し怯えていたのかも。

 今日もいつもとあまり変わらない。
 これほど安心できることってありますか。
 背筋をピンとした黒いロボット。
 5時起きメイクの女たち。
 ソシャゲに飼われる学ラン坊や。
 歩きタバコに、むせる演技。
 そろそろ洗って、スーパーカブ。
 車が無くても、信号待つ氏。
 コンビニ袋にツナマヨエビマヨ。
 代々受け継がれてきて何代目? もはや誰の物でもないビニール傘。
 そして、やっぱり今日も「あいつ」は現れました。
 どれもそれもあれもこれも、それはそれで心地がよい、幸せを構築する要素なのかもしれない。
 お母さんお婆ちゃん近所のおじちゃん、私も「あたりまえ」がわかる年頃になりました。まだ日本酒は飲めないけれど。
「てかさ……下半身か上半身か、じゃなくて、どっちも、じゃだめなの? いやだって……」
 あいつはほんとに馬鹿なんじゃないの。まだそんなくだらないことを考えていたの。やっぱり私は私が憎い。空気を読まずに現れるんだもの。少しは考えて生きてよね。負けてなんてあげないんだから。間違い正しが私のポリシー。それも私を構成する1つなんです。さて、どうやって反論してあげましょう——。
 いつもとあまり変わらない。憎くて退屈なあたりまえが今日も私はここちよい。