あの声がしたら、追いかけて。
気温マイナス3度。目を細めてしまうほどに大量の、それも大きな粒雪が降り乱れる。
険しい。これはあした積もるだろう。というかすでに積もってる。
そんな真冬の寒空の下。
俺たちは———走った。
「あの声」を追いかけて。
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「ないんだ、人生でいちども」
まるで初めて遊園地に来たこどものような目で「あの声」の方角を、窓ごしに見つめながら彼女は言う。
どこで鳴っているのか、正確にはわからない。なんとなく遠のいていく、というのは、なんとなくわかった。やがて、声は途絶えていった。
彼女は床に腰をおろす。表情には、まだほのかに残る期待感、そこに少しずつ悲しみが入り混じってゆく。
「あーあ」
どうやら諦めたようだ。
しかし、その数十秒後くらいか、またあの声が聞こえる。
しかも、すぐ、近くだ。
「えっ」
時が来た、というかんじで目を見開き、今しかない、もうチャンスはないよ、というかんじで彼女は「いこ」とだけ言う。最低限の言葉だけを発して軽やかに跳ね立ち上がった。
「時は一刻を争う」とのことで、一刻を争う中での最低限の防寒対策だけを施し、スマホと財布をポケットに、慌てて家を飛び出した。
俺は短パン、サンダル、トレーナー。
彼女はパジャマ、サンダル、ブロックテック。
結果このような、ふつうに寒い格好になってしまった。一刻を争っているのだから仕方がなかった。
彼女は玄関から出た後、すぐさま廊下を走りだす。
ふだん外出するときに、ドアの鍵をかけている俺を置いてけぼりにしたことは一度もなかったのに、今回は躊躇なく置いてけぼりダッシュをかましていった。
それほどまでに、みなぎっているのだろう。
それほどまでに、彼女は『石焼き芋』を食べたいのだろう。
それほどまでとは思っていなかったので少々驚いたが、俺は俺で彼女のペースにのまれて勢いを任せている状態なので、とりあえず勢いを任せて彼女の姿が見えるまではダッシュで追ってみることにした。
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しかし……外に出たはいいものの、寒い。マイナス3度、さすがに寒い。
そして……いない。石焼き芋の車がいない。
すぐ近くで鳴っていたはずの、大きく聞こえていたはずの「あの声」。すなわち「いしやあ〜〜きいもぉ〜〜〜〜」が聞こえない。
自宅マンションの周りを歩いてみるが、いない。気配をまったく感じない。
というか「幻だったのではないか」というくらい外は静かだ。人も車もだれもいない。
かろうじて配達中のハイネコ急便さんが、いそいそと荷物をおろしているくらいで、あたりには静かな雪景色しか存在しなかった。
視力を安定させようと、そして大粒の雪が目に混入するのを防ごうと、まぶたを薄めて、広く遠くとまわりを見てみるが、石焼き芋の車っぽい奴はどこにもいない。
気のせいだったのかな。ほんとうに幻だったのかもしれない。
「あぁー……いないわっ。いない」
そう彼女に言い放つ俺は寒そうな顔で肩甲骨を上げながらポケットへ手を突っ込み、自宅マンションのエントランスへと向かう。
その瞬間、また、「いしやあ〜〜きいもぉ〜〜〜〜」が聞こえてきた。
しかも、まぁまぁ大きめな音。
すぐ近くではない。でも遠すぎることもない。車は止まっているのか、走っているのかもわからない。
でもたしかに聞こえる。信号を渡った先の少し遠く。遠くのどこかにいるはずだ。
「行ってみる?」
そう言うと、彼女はかぶせ気味に早い「うん」を返してくる。しかも「うん」を言い終わる前に、すでに彼女は走り出していた。
信号は赤。静かな雪景色。車はいないよな。信号無視していこうよ。そう思っていたが、こういう時に限って車が通る。なんでだよ。彼女はフライングしそうな勢いで「まだかまだか」と車が途切れるのを待つ。落ち着きなく。
そして青になった瞬間、彼女は、猛スピードで走り出す。
「……」
いったいどこからその情熱が湧いているんだ。いったいなぜそこまできみは頑張れるんだ。
さいわい路面は凍ってない。雪は積もっているが、体幹のよわい彼女でも転ぶ心配は……それほどないかな。
正直、俺は勢い任せで家を飛び出たことにかなり後悔している。
だって……寒いじゃん。いや、ふつうに。そして、べつに俺、石焼き芋たべたくないし……。
というか、ふだん彼女は「石焼き芋」なんてワードを全く発しない。もう付き合って4年くらい経つが、一度も発したことはない。「さつまいも」も滅多に言わない。
だから「なに食べたい?」と聞いて「石焼き芋!」と答えたことは一度もない。
もちろん俺と出会う前や俺が居ない時に「石焼き芋!」と発している可能性はあると思うが、俺の前では一度も言ったことがないし食べたこともない。
つまりなんとなく俺の心の奥底のほうでは「石焼き芋には興味がないんだな」と無意識に勝手に整理されていた。それくらい彼女にとって石焼き芋というのは軽い存在だった。
ハズだった。
しかし現実はどうだ!
彼女は真冬の大粒雪が降り乱れる中、石焼き芋を追いかけているではないか。
いったいどこから湧き上がってきているんだよそのパワーはよ。
しかも、彼女はいま「ブルーデイ(生理)」だというのに。
今朝なんて「めまいがする……」と、しゃがみ込む場面もあったではないか。
石焼き芋がもたらすパワーに困惑を隠せない。なぜなら天候が悪い且つ体調も悪い彼女を激しく動かす「すげえもの」が石焼き芋にはあるんだもの。
すごい。すごいよ。すごいね。すごいわ。すごいのはわかるけど、ついていけないよ、きみには。いやまぁ、ついていってるんだがね……。
体はついていってるが、心はついていけないよ。
家と外の温度差は、なかなか激しいものではありますが、俺と彼女の温度差も、なかなかなかなか激しいものです。
そんなことを思いながらも俺は彼女を追いかける。そんなことはなにも考えていないだろう彼女は石焼き芋を追いかける。
百円均一の『セイソー』で買った安物サンダル(330円の奴)が急に気になってきた俺。やっぱ安物はグリップが弱い。道に氷はないとは思うが、転んだら嫌だな痛いな寒いなと思いながら、ひやひやヒヤヒヤ走りを続行する。
しかしだ、なんでかな、けっこう走ったが見つからない。
石焼き芋の車は、いっこうに現れてくれない。
声のする方へ、ずっとひたすら走ってきたのに。どこだろう、サッパリわからない。
ただただ俺たちは希望的観測に走りつづけているだけだ。
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やがて、彼女の動きは、《ピタッ》と止まった。あれから15分くらいは経っただろうか。
声を聞くまでもない、彼女の表情がソレを物語っていた。
声がするのに、いっこうに近づけない。切なさ悔しさ惨めさ悲しさ。やっぱ幻? 存在してるのかもわからない。いや、声はするので存在するよ。でも、声だけしかわからない。いるのにいない。たどり着けないもどかしさ。たしかに辛い。辛かった。辛いよな。
なにが残酷かって、それは、音がぜんぜん遠のいていかない残酷さだ。
俺たちの走るスピードと石焼き芋が走るスピードは、きっとほぼ同じ。
石焼き芋は、あえてゆったりちんたら走るからね。営業中なので。
そう、俺たちと石焼き芋は、ずっと同じ距離を保ちながら走り続けていた。よくありがちな、あの河原や土手で走り続けるアニメのエンディングのように。
一定距離は保っているかんじだが、姿は見えない。しかし声の音量は小さくならなかった。ということで、だいたいの方角は同じだと思う。同じ方角へ走っていたと思う。
だから一生たどりつけないし、声が遠のかないから俺たちも諦めがつかない。
手に届きそうで届かない。でもまだ遠くないから走り続ける。それの繰り返し。石焼き芋に未練を残した地縛霊かのように、ひたすら闇雲に走り続けていたのだから残酷だ——。
「はぁ……いこっか」
さすがの彼女も、もう石焼き芋を諦めたようだ。
石焼き芋に求めていた暖や味(欲望)を、石焼き芋を買い食べることで満たしたかった。その気持ちは同情するほどにわかる。というか想像がつく。シンプルにかわいそうだ、彼女をみてそう思った。
同情と社交辞令もついでに兼ね「だね。またこんど挑戦しようよ」と言っておくことにした。今の俺にはこれしか言えない。寒いし。疲れたし。とくに言葉が浮かばないし。
正直、「やっと家に帰れるのか」と嬉しくなったが、その表情を彼女に見せるのは今は無礼かなと思い、寒そうな表情だけを全面にみせる努力だけはしておこうと帰宅しながら思いました。
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帰宅して玄関のドアをあけた瞬間、ストーブのきいた部屋に、とてもしあわせを感じた。
ああ、そうだよ。いいじゃないか。我々には、あたたかい部屋が待っているのだから。べつにわざわざ、さつまいもを石焼きしたもので暖をとらなくてもいいのだから。さっきのは散歩だと思って忘れよう。いい運動になったじゃないか。うんうん。
そんな、穏やかな気持ちになった。
のは、俺だけで、帰って早々、彼女は椅子に座り込み、スマホ(Google)を起動した。
そして、[石焼き芋 捕まえ方]と勇ましく真剣にググっていた。
その姿は、とても勇ましかった。
姿だけではなく表情も、とてもとても勇ましかった。
俺はそんな彼女の顔を見て「やっぱ彼女は、石焼き芋に何か未練がある地縛霊にでも憑依されているのかなぁ」そう思いながら、あたたかい紅茶をつくるのであった——。
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あれから——2年後。
彼女は、革命を起こした。
『いまどこ石焼き芋』というアプリをつくりあげたのだ。
それは、石焼き芋の車にGPSをつけておくことで、どこらへんを走っているか、現在地をアプリ内のMAPに表示してくれる。そして、今どこにいるのかをプッシュ通知で教えてくれる。そんな素晴らしい機能がついている。
さらに、石焼き芋の「残数」が随時アプリ内に反映される機能や、「どこどこ3丁目の、どこどこに10分くらいいますー」「来月は、どこどこを重点的に周りますー」みたいなお知らせ機能もあり、それはアプリ内で確認できる。自宅周辺に来る時だけプッシュ通知がくるような設定もすることができる。
このアプリは、地道な営業活動や、SNSで話題になったというのもあり、いまでは全国すべての石焼き芋屋さんと契約済みで、この『いまどこ石焼き芋』のシステムを導入してくれている。
シェアが全国100%を占めたという凄まじい結果を武器に、更なる高み、ユーザーファーストを目指すため、なんと『Googleマップ』と提携することに成功した。
Googleマップ上に石焼き芋の車が走っている世界線を、彼女は創ってしまったのだ。
だからわざわざ『いまどこ石焼き芋』をインストールしなくても、Googleマップで石焼き芋の把握をすることが出来るようになった。
そうして、石焼き芋を買う人は全国的に、圧倒的に増えた。
これまでは「食べたいけど、間に合わなそうだし」と諦めてしまう人が多かっただろう。
だが自宅周辺へ来た時にアプリから通知がくるので、これまでやむを得なく諦めていた「チャンスがあれば石焼き芋を食べたい勢」のフットワークが軽くなり、購買意欲はグンと上がり、石焼き芋屋さんの売り上げも爆発した。
昨今ではSNS映えする石焼き芋を取り扱っている店舗も増えてきた。石焼き芋の大ブームを彼女はつくりあげたのだ——。
しかし、最近は「ちょっと寂しいよね」という口コミも、ちらほらと聞く。
『いまどこ石焼き芋』の全国的な普及により便利な世の中になった反面、これまでは夜であろうが問答無用で鳴り響いていた、あの声、「いしやあ〜〜きいもぉ〜〜〜〜」が、まったく聞けなくなったからだ。
というのも、もともと、「いしやあ〜〜きいもぉ〜〜〜〜」を騒音と感じる人は多かった。
アプリ等で誰でも気軽に全国民が石焼き芋を買える時代になったということで、日本では「いしやあ〜〜きいもぉ〜〜〜〜」は法律で禁止された。
「いしやあ〜〜きいもぉ〜〜〜〜」を犯した人は罰金1万円もしくは懲役30日になってしまう。
とまぁ、その「いしやあ〜〜きいもぉ〜〜〜〜」が聞けなくなり寂しがってる人たちが僅かに存在するわけだ。
それに対してどう思うか、彼女に尋ねてみたところ、
「私は、あの声に、とんでもない屈辱を受け、深い傷を負った」
とのこと。
つぎに、なんで『いまどこ石焼き芋』をつくったのかを尋ねると、
「すべては復讐のため!!!! この世から《あの声》を抹消するためだ!!!!」
とのことでした。
あの日——石焼き芋を買えなかったあの日、彼女の見せた勇ましい顔はコレのためだったのだろうか。
だとしたら、やはり彼女は、石焼き芋に何か未練がある呪縛霊に憑依されたのかもしれない。
いや……むしろ彼女自身が石焼き芋に未練がある地縛霊なのでしょう。