「Twitter頑張る」に違和感。
たびたび見かける「Twitter頑張る!」という発言に違和感。果たしてソレは大切なフォロワーに向けて宣言してもよいことなのか……? ソレを見る度おれは「いや……しまっとけよ(笑)」と心の中でツッコミを入れている。
「Twitter頑張る!」の目的って、たとえば
•フォロワーを増やす
•濃ゆいファンを増やす
•まぁ集客
要は「ビジネスに繋げる」ってことでしょ。そのための手段としてTwitterを頑張ってるんだと思う。
もちろん目的のためにソレが必要ならやればいい。誰もソレを否定しない。でもだからといって「Twitter頑張る!」っていう宣言をする必要はない。むしろ逆効果だからね。だって人間は「人間として扱われたい」からさ。
《ビジネス目的》でTwitterを運用している人にとって、フォロワーなんてのはどうせ数字でしかない。
でもフォロワーは「数字」じゃなく「人間」として接してほしい。
「Twitter頑張る!」という宣言は、
「数字を増やす努力をします!」
「数字が減ると嫌なので、引き続き宜しくお願いいたします!」
と宣言しているのと同じ。
べつに過剰なファンサービスをしろと言っているわけではない。我々生物皆多忙。全員のリプやDMへ毎回丁寧に返信している時間はない。気が乗らない、余裕がない時はある。だからフォロワーのアクションに対してシカトしても構わない。構わないので、わざわざ「Twitter頑張る!」という宣言はしなくていい。メリットが弱火すぎる。むしろ損している。「あなたたちは数字ですよ!」と宣言しているようなものだから。
数字扱いされたフォロワーは途端に機械的に感じてしまう。アクションに対してぎこちなさを感じてしまう。
「なんかこのひと業者っぽい」
「こういう《マーケティング感》が強いアカウント嫌いなんだよね」
♡やリプをされても、
「あぁ頑張られてるな……」
「今日もTwitter頑張ってるね」
「数字稼ぎ、ご苦労様ですー」
としか思えなくなる。
次第に「絡みたい」という気持ちはサガミオリジナルよりも薄くなる。そして、あたたかみを求めて別の対象へ離れてゆく——。
おれは人間を数字扱いするアカウントのフォローは解除する。ときにはブロックする。つまんないからね。気持ち良くないし。
「全員が全員そうじゃない」という大前提条件は置いといて、だいたいそういうビジネス目的でしか運用してないアカウントの発信って面白みを感じないし有益でもない。ぎこちないしリアリティもない。ググったら一番最初に出てきそうなことばっか言うし。しかも曖昧に。劣化版として。
やはり人間味のあるフレッシュな発信が好み。たとえそれがフォロワー50人とかのアカウントでも、ぜんぜん気にならない。そこはどうでもいい。何を言ってるかが肝心。その人の脳みその中にある様々な情報を、その人の言葉でアウトプットされていると楽しい。面白い。リアリティがあり、とても新鮮。鮮度が良い。
反対に、いくらフォロワーが多くても、リアリティのない履き古したニオイ付き靴下みたいなうんこみたいな発信内容には全く興味を持てない。
そんなんではフォロワーは満足できない。次第に離れる。上辺で薄いフォロワーが多くついたところで、結局それはビジネスに繋がりづらい。ビジネスに繋げたいなら濃いファンを集めなきゃいけない。数字が増えるだけでは意味がないのに。闇雲にTwitterを頑張る意味はなんなんだろう。
まあどうであれ「Twitter頑張る!」という宣言は、わざわざご丁寧にやらないほうがいい。それを見たフォロワーは今後Twitterでどういう気持ちで接すればいいのでしょう。数字として付き合い続けてはくれないでしょう。そのへんをデリケートに考えたいね。得しない本音は、しまっとこ。