「情報で補える経験」は命よりも大切ですか。
MOKUJI.
『タイムイズライフ』
経験に投資することはとても大切なんだけど、経験せずとも情報のみで十分に理解できたり簡単に予測がつくことにコストやリソースをあてるのはもったいない。
精神論や根性論で、なんでもかんでも「やってみなきゃわからない」「最後までやったらきっと何かがあるかもしれない」と希望的観測になってしまっては命がいくつあっても足りない。われわれのリソースは限られている。
なんとなくで、なんも調査せず、断定的に、思い込みで、不器用に、闇雲に、特攻隊長になって損しちゃっている人間が自分の周りにもこの世界にもたくさんいる。嫌味ではなく、心底残念。気の毒に思う。
時間は有限。タイムイズライフ。「無駄なことなんて一つも無い」と言う人がいるけれど、それは揚げ足取り。限られた人生の中で自分に不利益な事や優先順位の低い事をわざわざ思考停止でやっていては、それは、《無駄》と言える。もったいないが過ぎる。やりたいこと、やるべきことは他に絶対にあるのにね。
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『経験せずとも未来予測が容易なモノ』
例えば——『Fラン大学』。これに費やした大金と4年という時間。これになんの意味があるか。多大な金と時間を代償に得られるモノは果たしてなんなのか。事実ほとんどの人間には意味がない。
「とりあえずいっとこ」で闇雲にFラン大学へ大金を支払う。もしくは借金を背負う。20歳前後の4年間という貴重な時間をとりあえず単位をとるためだけに使って、空いた時間でバイトして、もしくは遊んでセックスして——。その先の未来、Fランブランドなんてなんも価値がなくて面接では当然に不利。結局よくわからない中卒でも高卒でも簡単に受かりそうなところに新卒キップで就職してしまうという。
全く興味のない業界業種の会社にアルバイト感覚でなんとなく就職してしまいFラン大学に通った意味は果たして、みたいな哀れな人間をこれまで数多く見てきた。もう正直いって完全に無駄。目的に対してのコストが高すぎる。もったいないが過ぎている。
もちろん、例外はある。「自分の目指すところへ行くためにはFラン大の卒業資格が必要」という場合。その場合は行けばいい。自分がどうしてもどうしても行きたい企業が「大卒資格さえあればいいよ」ってとこならそれはFランでも意味があるからね。
でもそうじゃないならその「Fラン大卒」というブランドスペックは無意味。そんなことは経験せずとも簡単にわかってしまう。金も時間も無駄になるなんて、そんなこと冷静に考えて軽く情報収集をしておけば事前にわかったこと。Fラン大学にわざわざ通わなくとも簡単に未来予測がつくことなんだよね。
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『情報で補えない《好き》を体験したい』
とまぁ———これはほんの一例だが、このように経験せずとも情報だけで簡単に予測がつくモノは経験する価値がない。情報だけで補えるのに貴重な命を代償にしたくない。経験(体験)は、情報では補えないモノを優先的に体験したい。自分が好きでやりたい、興味があるモノを。
そりゃすべてを経験できるなら経験しておけばそのプロセスの中で何かしらの利益はあるかもしれないが、それは不可能な理想論。現実的ではないので揚げ足取りにすぎない。
経験も体験も取捨選択をしないと、命がいくつあっても足りない。限られたリソースの中でなにをするか。どう時間を使っていくか。闇雲になってはだめ。しっかりと考えてリソースをあてたい。日々つねひごろ情報収集能力を上げてゆき、情報で補える幅を広げてゆく。
ただ、だからといって経験(行動)の回数を極端に減らしてしまっては、またそれも問題。まぁそれはケースバイケースでトレードオフな話になってくるね。だから行動するか情報収集で済ませるか、そのバランスは見極めたい。基本はアグレッシブにアクションを起こし続けたほうがいい。でも、やる事とやらない事の選択はしっかりと合理的に行いたい。